不安との付き合い方│部長が教えてくれた、「今を生きる」ことの大切さ

私は、約3年前に適応障害と診断され、会社を休んだ経験があります。

その後、再発してしまいました。
その時に部長との面談でいろいろとお話をした時の体験談をお伝えしたいと思います。

人によっては、こういう考えがあるんだなと他人の思考を知ることができると思います。

みなさんのご参考になれば嬉しいです。

3年前に適応障害に罹患した際の、体験談や初期症状等をご紹介した記事はこちらです。

目次

不安で適応障害が再発

2020年9月上旬、突如、適応障害が再発しました。その日は突然きました。ある月曜日ふと気分が落ち込み、全く活力が出なく、会社に休暇を取得する連絡をしました。そこから立て続けに3日間休み、風邪でもないのに自分の状態がおかしいと思い、上司の課長に、「なぜかしんどいです」と電話しました。

仕事関係できついストレスを抱えていたわけではなく、なぜか急に仕事が手につかなくなるという状況です。

コロナ禍ということもあり、全く友人と会う機会もなく、ずっと家で在宅勤務をしていました。世間が自粛ムードで日々感染者数の情報が流れ、テレビを付ければワイドショーでコロナ関係のニュースばかりでした。

さらに、妻が第一子の出産を控えているという状況でした。

課長に電話した時、何か自分の中で弾けて泣きながら電話をしてしまいました。その時、課長は話をしっかり聞いてくれました。この時、自分はまた適応障害が再発したのだと自覚しました。

そんなこんなで仕事の負荷を減らしてもらい、休みを少しずつとりながら徐々に在宅勤務で仕事に復帰しました。

2週間ぐらい経った時、仕事の感覚を取り戻すために会社に出勤をしました。そのタイミングで課長が部長との面談をセッティングしてくれていましたので、今の状況や、なぜ適応障害が再発したのかをざっくばらんにお話しました。

部長にも辛い経験や悩みがあった

部長は、仕事に厳しい人でしたが、飲み会やカラオケが大好きでよく連れて行ってくれるような気さくな人柄の優秀な人です。少し天然キャラが入っており、さらに上の事業部長とかにもいじられる愛されキャラのような方でした。

面談では、思っていることを全て吐き出して、休むほどの仕事のストレスがない状況なのに、どうしても体が動かなくなってしまったこと、そしてこれから生まれてくる子どもへの不安、一家の大黒柱、家計を支える父親にならなくてはならないこと、仕事を頑張らなければならないこと、これからの自分の人生どうなっていくのかという不安など、色々と頭に思い浮かんではずっと悩み続けているという話をしました。

一通り自分からの話を終えてから、部長は「自分にも若い時、人生のことや将来に対する漠然とした不安、なぜ仕事をするのかなど、悩んだ時期があった」というお話をしてくれました。

さらに、部長の生い立ちも初めて教えてくれました。部長が中学生の頃、父親が急に電車の駅のホームで倒れて亡くなったこと(なぜそのようなことが起こったのか今でもわからないとのこと)。阪神淡路大震災で被災し、家が全壊して一家全員の住む家がなくなってしまい、会社の狭い社宅でなんとか生活をさせてもらっていたことなど、過去の辛い経験を話してくれました。

そうした経験もあってか、部長は自分で「こういう経験をしたから、ちょっと頭のネジが外れてメンタルは強くなったと思う」と言っていました。決してそのような辛い経験を同じく経験しなさいというわけではなく、あくまで自分の経験、人生を語ってくれました。

最後に部長から、「人生の先輩、社会人の先輩、部長という立場から何かいいことを言いたいと思ってずっと考えていたんだけど…」と言いながらある本を見せてくれて、「どうしてもこの文章が頭から離れなくて、印象に残っているんだ」といって村上春樹さんの本の文章を紹介してくれました。

「踊るんだよ」

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?

踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。

一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。

だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。

まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」

「でも踊るしかないんだよ」

「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』上 P.164 : 羊男(講談社文庫 1988/10)

部長が伝えたかったこと:「今を生きる」ことの重要性

私は約1時間半の面談の中で、部長はこういうことを伝えたかったのかなと思いました。

誰でも生きていれば、不安になることもあるし、辛いこともある。今を一生懸命に生きることが大切なんだ、それには理由なんて考えることすら無駄で、理由なんてないんだ。

目の前のことに集中して、日々生きていくこと、1日の仕事の終わりのビールのために働くことが仕事をする意味だっていいじゃない。大それた理由なんて考えても答えは見つからない。
ただぐるぐると思考が巡っては消え、巡っては消えの繰り返しなんだ。

不安は誰にでもあって、自分だけが考えてしまうような特別なことではないんだよ。

だから大丈夫。そういう時があってもそういう時だと割り切って少しずつ今に目を向けよう。

まとめ

今を生きることの大切さ、将来なんて誰にもわからない。将来を作るのは、今の自分だということを気づかせてくれた面談でした。

村上春樹さんの文章は、初めはどういうことだろうと理解があまりできませんでしたが、改めて今じっくり読んでみると、また面談時と違った解釈ができる自分がいます。

認知行動療法も含め、再発防止に努めながら、完全に回復した時には、元気だった頃よりもさらに強くなっった自分になりたいと思っています。

この部長との面談のお話を通して、少しでもみなさんの心に何か感じてもらえたら嬉しいです。

『オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。』

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる